第六話

 
 夜。

 はめ込まれた小窓から、月光が差し込む。
その優しい光をじっと見つめる涼やかな目元。室内は、とても静かだった。
ベッドから時折聞こえる寝息と、布擦れの音以外の物音は一切しない。
永遠に続くと錯覚してしまいそうな、つかの間の平和な時。

 

 しかし、短い絶叫がその静けさを破った。
勢いよくベッドから上半身を起こしたエイトは、両手で顔を覆った。
荒い息を整えようと、彼の肩は大きく上下する。
ぽたり、ぽたりと、頬からシーツに汗が流れ落ちた。
唐突の異変にリュカは驚いたような顔で、エイトの方へ視線を向ける。

 

「大丈夫?」

 

 エイトは両手でごしこしと強く顔を拭うと、そっと手を離した。
強く擦ったせいで、目が少し赤く腫れている。

 

「大丈夫、です。すいません、いきなり大声出して」

 

 その声はしっかりしたものだったが、シーツの上に置かれた手は小刻みに震えていた。
自分を落ち着かせるように目を閉じて、ゆっくりと息を吐きだす。
その様子を見たリュカは、只事ではないと感じ、椅子から立ち上がるとベッドに腰を下ろした。

 

「それは構わないけど、一体どうしたんだい?」
「いえ……ただ、夢を見て……」
「夢?」

 

 リュカの穏やかな声色を聞き、大分落ちついてきたのか、エイトは顔を上げて笑ってみせた。
その笑顔は大分、ぎこちないものだったが。

 

「ええ。ドラゴンに追いかけられる夢を。くだらなくて笑ってしまうでしょう?」

 

 そうは言うものの、エイトの顔色は優れない。
リュカもそれを敏感に感じ取るが、それ以上追及することはしなかった。

 

「まだ夜明けには時間がある。もう一度眠るといいよ」
「だけど、目が冴えてしまいましたし……」

 

 見張り代わりますよ、と言ったエイトに対し、リュカは首を横に振る。
目を伏せて暫し何かを考えた後、顔を上げてにこりと微笑んだ。
 
「じゃあ、眠れるように一つ昔話をしよう」
「あの、僕は子供じゃないですよ」
「とりあえず聞いてみて、眠れたら眠れたでいいじゃないか」

 

 ね? と、言われてしまえば、不思議とエイトは拒否することが出来なかった。
とりあえずですからね、と言いつつ、エイトは再びベッドに身を沈める。

 

「さて、何を話そうか……うん、息子が一番好きな話にしよう」

 

 リュカは目を閉じて、遠い記憶を辿りながら言葉を紡ぐ。
その最初の言葉は、定番の台詞。

 

「むかしむかし、ある町で子猫がいじめられていて……」

 

 穏やかな口調で語られる、ある子供達の冒険譚。
少し不満げだったエイトは、いつの間にかそれに聞き入っていた。
隣から聞こえていた規則正しい寝息も、いつしか途絶え。

 夜は静かに更けていった――


◆◆◆


「朝だぞ、起きろって」
「……え?」

 

 身体を揺り動かされ、ようやく目を覚ましたエイトは勢いよく身体を起こした。
小窓からは爽やかな朝日が差し込み、小鳥のさえずりも聞こえる。
ぐるりと辺りを見回せば、リュカもソロも既に起きていて、食事の準備をしている。

エイトはこめかみに指を添えて昨夜の記憶を辿った。

悪夢を見て跳ね起きて、それで、リュカの話す物語を聞いている内に眠ってしまったのだ。

 

「やっと起きたか。お前、本当に寝起き悪いな」

 

 呆れ混じりに呟きつつ、ソロはベッドの傍を離れた。
リュカはテーブルに小さな皿を並べつつ、エイトに声をかける。

 

「顔を洗っておいで。それから朝食にしよう」
「あ、はい」

 

 エイトにとっては久方ぶりの清々しい目覚めだった。

うん、と背筋を伸ばして、ベッドから下りようとするエイトの足元に、ゲレゲレが擦り寄る。
その頭を撫でつつ、エイトはベッドから腰を上げて立ち上がった。

 

「湧水まで、ゲレゲレが案内くれるよ」
「ガウッ」

 

 ついて来いとでも言うように、先行して扉の前に行き、振り返ってエイトを待つ。
エイトは欠伸を噛み殺しながら、その後をついていき、扉を開いた。
ぱたん、と扉が閉まった後、一瞬、部屋は静寂に包まれる。
その静寂を破ったのは、ソロだった。

 

「……あのスライムナイトは、どこにいったんだ?」

 

 ソロの言葉からは、不信感や警戒心が透けて見えた。
しかし、リュカは平然と、皿にパンを置きながら答える。

 

「ああ、彼には今、仲間を生き返らせるように頼んでいるんだ」
「仲間……それも魔物か」
「そうだよ。もう何年も一緒にいる、大切な仲間だ」

 

 そう言うリュカに向ける、ソロの視線は鋭く、冷たい。
リュカは苦笑しつつ、言葉を続ける。

 

「魔物は、信じられないかい?」
「ああ、信用出来ないな」

 

 きっぱりと言い放つ彼に、躊躇いも迷いも見られない。
その言葉に、心の奥底から魔物を忌み嫌っているのが感じられ、リュカは少し表情を曇らせた。
ソロはその顔を見た後――再度、口を開いた。

 

「だが……人を見る目はあるつもりだ。アンタのことは信用出来る」

 

 リュカは意外そうな顔でソロを見る。

 

「それって――」

 

 リュカがその言葉の真意を問おうとした時、部屋のドアが開かれた。
それと同時に、エイトが中に転がり込む。
その腕に、ぐったりした様子のピエールを抱えて。

 

「ピエールさんが、ピエールさんが……!」
「落ちついて。とにかく、手当てをしよう。ピエールをベッドに寝かせて」

 

 エイトは何度も頷きながら、指示された通りにベッドに寝かせる。
リュカは自分の荷物から薬草を取り出し、ピエールの口に流し込んだ。
すっかり青ざめていた顔色が、少し良くなる。
その様子を遠巻きに見ていたソロが、エイトに尋ねた。

 

「一体なにがあったんだ?」
「いえ、僕にもさっぱり……焦げくさい臭いが気になって、様子を見にいったら、ピエールさんが」
「焦げくさい臭い?」

 

 改めてピエールを見れば、その鎧は黒く煤けていた。
火炎系の呪文、或いはそういったブレス攻撃を受けたような跡だ。
薬草の効果で目覚めたのか、ピエールは口を開く。

 

「我が、主……」
「ピエール。傷口に響くから、あまり話さない方が良い」
「いえ、これだけは伝えなければ……仲間が、敵の手に落ちました……!」

 

 それを聞いた瞬間、リュカの目は大きく見開かれた。
ソロもその意味を何となく理解したのか、小さく舌打ちする。
苦しそうな呼吸を合間に挟みながら、ピエールは尚も言葉を続けた。

 

「彼らは、私に攻撃した後、敵と共に、黒い穴の中へ」
「黒い穴?」
「恐らくは、我らがここに、来た時と同じ穴……向こう側に、あの要塞が……ぐっ、ゲホッ」

 

 ピエールがせき込むと、黒い血が白いシーツの上にパッと飛び散る。
リュカがその背を擦る間に、エイトは万能薬を取り出し、ピエールに与える。
するとすぐにその効果は発揮され、目につく傷はすぐに癒えていった。
ピエールの容体が落ち着くのを見計らって、エイトはリュカに尋ねる。

 

「あの、先ほどピエールさんが、仲間が敵の手に落ちたと言っていましたが、それってどういう?」
「僕の仲間達は、みんな元は闇に囚われた魔物だった。再び闇が心を覆ってしまったら――」
「人を襲う、か。つまりアンタの仲間は野生にかえったというわけだ。……で、コイツらは大丈夫なのか?」

 

 ソロは、ベッドに横たわるピエールと、その傍で心配そうにしているゲレゲレに視線を向ける。
そして、腰の剣に手をかけた。それを咎めようとするエイトを制し、リュカは答える。

 

「……彼らは大丈夫だ。目を見れば分かる」
「そうか。なら、良い」

 

 あっさりと剣から手を離したソロに、エイトは少々面食らう。
しかし、何故、と問いかけるのも躊躇われたので、別のことを口にした。

 

「そういえば、僕の世界で暗黒神が現れた時に、敵意のない魔物も破壊の衝動にかられていました」
「魔物の心を染める力がある、ということだね」

 

 恐らくは、と答えるエイトに対し、リュカは頷く。
そして、テーブルに並べた食事に視線を向けた。

 

「じゃあ、食事を取りながら、今後の方針について話そうか。その間に、ピエールの体力も戻るだろうし」
「え、そんなに早く治るものなんですか?」
「スライム族の自己治癒能力の高さを甘く見てはいけないよ」

 

 リュカは二人に「さあ、座って」と言いつつ、皿の一つをゲレゲレの前に置く。
そして、皿の上に干し肉をのせた。ゲレゲレは皿を鼻先で押し、ピエールのいるベッドの傍まで持っていく。
ソロはその様子を見ながら、無言で席につき、遅れてエイトも椅子に腰を下ろす。
リュカもピエールの傍に椅子を寄せて座り、食事を始めた。
 


◆◆◆



「じゃあ、そろそろ行きましょうか」

 食事を終え、装備を整えると、エイトは二人に告げる。
その後ろで、ピエールは剣の素振りを行っていた。
自身の剣が未熟だから、負けたのだと彼は思い、自らに修行を課しているのだ。
リュカの言葉通り、ピエールはこうして素振りをすることが出来る程度まで回復した。
戦闘をこなせるほどか、と言われると、まだ不安はあるが。


「出口の検討はついているんだったな」
「うん。……さあ、ゲレゲレ。案内してくれるかい?」
「ガウッ!」


 部屋を出ると、一行を先導するように、ゲレゲレが前を歩く。
その後ろをピエール、リュカ、ソロ、エイト、の順に並び、続いて歩いた。
ゲレゲレは地面に鼻を押し付けながら、多くの分岐路を右へ左へと進んでいく。
他の者は魔物の襲撃を警戒しながら歩いていくが、その気配は全くなかった。


「魔物、来ないな」
「僕達が強すぎて、出て来れないんじゃないですか」
「だと良いが」


 エイトの冗談か本気か判断しづらい言葉を、ソロは軽く流す。
そうこうしている内に、ゲレゲレはある場所で立ち止まった。
見れば、今まで歩いて来た土がむき出しの洞窟が途絶え、明らかに人の手が加えられている石造りの通路が続いている。
そしてその先に、中央に大きなヒビが入った石の壁があった。


「この石の壁の先が怪しい、とゲレゲレは言っている」
「なるほど。みんなで体当たりすれば壊せそうですね」


 石の壁に近づき、ヒビを指でなぞったり、軽く叩いてみたりしながら、エイトは言った。
ソロもその壁に近づき、怪しげなルーン文字や聖書の文句が書かれていないか確認したが、本当にただの壁のようだった。
壊すと決まれば、全員が数歩下がり、体制を整える。


「じゃあ、いくよ。いっせーの……でっ!」


 リュカの合図と同時に走り出し、各々が石の壁に自分の身体を叩きつける。
すると、石はあっさりと崩れ去り、地面に拳大の石を残すのみだった。
再び先ほどと同じ隊列を組み直し、奥へと進む。
不気味に思えるほど、魔物の気配はない。
自然と警戒を強めたエイトは、きょろきょろと辺りを見回すソロに気付いた。


「ソロさん、どうしました?」
「ああ、いや……何か、見覚えがあるような気がしてな」


 辺りを見回しながら、妙な既視感に首を傾げるソロ。
エイトはその様子を見ながら、口を開く。


「でも、この世界に来たのは初めてなんでしょう? 気のせいじゃないですか?」
「しかしな、あの壊す壁もそうだが、今通った石の門も、向こうの水路にも見覚えが――」


 その時、ソロは気付いた。ここが、どこであるかを。
そんなわけがない、と頭の片隅で思ったが、あまりにも構造が一致しすぎていた。
念のため、警告しておこう。そう思い彼が立ち止まった瞬間――床が消えた。


「うわッ!?」


 暗闇に投げ出され、いくつもの壁にぶつかりつつ、下へ下へと落ちていく。
そして、不意に目の前が明るくなる、と同時に、腰に衝撃が走った。


「いってぇ……」


 腰を擦りながら立ちあがる。辺りを見回すと、見覚えのある景色が広がっていた。
その名は、裏切りの洞窟。仲間に擬態し、襲い掛かってくる魔物が生息する洞窟。
その擬態を一目で見破るのは難しい。ましてや、その魔物の存在を知らないエイトやリュカはどうなるか……
もっと早くに気付けば、と悔やむ時間も惜しい。頭を切り替えて、ソロは呟く。


「早く合流しないとな」


 服に付いた土埃を払って、歩み出そうとしたその瞬間。
その声は、確かに彼の耳に飛び込んできた。


「ソロ」


 可憐なソプラノの声。聞き覚えのあるそれに、ソロは振り返る。
そこにいたのは、桃色の髪の少女だった。花がふわりと咲くような笑顔。
身に纏う、純白のワンピース。それは、ソロの記憶とは一つも違わない姿だった。


「シンシア……?」


 その口から零れ落ちるのは、久しく口にすることのなかった名前。
かつて、自分の身代りとなり死んでしまった、少女の。


「ずっと会いたかったわ。 ねえ、ソロ。こっちへ来て。私に顔をよくみせて……」


 ソロは、信じられない気持ちで彼女の姿を見ていた。
そして、ふらふらと、誘われるままにシンシアの元へと歩みよる。
シンシアはそれを見て、嬉しそうに目を細めながら腕を広げた。



「さあ、もっと、もっと近くに……」




 シンシアは歌うように誘いの言葉を吐く。その赤い唇を、歪めて。



 

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