第五話

「おかしいな……」
「どうしました?」

 

 ソロの呟きを聞き、エイトは足を止めて振り返った。見れば、ソロの腕に大きな切り傷が出来ている。手で押さえて止血しているものの、白い袖のほとんどが赤く染まっていた。かなり出血しているようだ。

 

「回復呪文がきかない……」

「え、魔力切れですか? とりあえず薬草をどうぞ」

 

 エイトはふくろから薬草を取り出し、ソロに渡す。ソロがそれを受け取って口に入れると

すぐに出血は止まり、傷自体も驚異的なスピードで塞がっていく。

傷の具合を確認しながら、ソロは首を横に振った。

 

「いや、まだ魔力はある。この感覚は、呪文の発動が出来ないというか……」

 

 エイトは何かを考え込むような仕草をした後、口を開いた。

 

「そういえば、知り合いの僧侶に聞いたことがあります。

 回復呪文や蘇生呪文は神の奇跡の力なくしては効果を発揮できない、と」

 

 ソロのこめかみが、ひくりと動く。

 

「……神がいないから呪文が発動しないということか?」

 

「まぁ、女神はいるらしいですし、もしかしたら別の要因かもしれませんけどね。

……ただ、蘇生できない可能性があるのは問題です。世界樹の葉も2枚しかありませんし」

 

「俺は一枚だけだ。これも効くかどうかは分からないから、どこかで試しておきたいところだが」 

「ここに死体があれば試せますけどね。というか、そもそも魔物自体出てこないのはどういうことでしょう?」

 

 ソロとエイトが大暴れした後、何故か魔物と一度も遭遇していないのだ。
あれが洞窟に住んでいた全ての魔物とは考え難い。嵐の前の静けさという言葉が頭に浮かぶ。二人は更に警戒を強めながら先に進んでいた。そんなとき、通路が少し広くなる。

 

「これは……」

 

 死屍累々。

そんな言葉が似合いそうなその惨状に、エイトは言葉を失う。先ほど自分達が戦った相手とは比べ物にならないほど大量の魔物の屍が、その通路に転がっていた。血のむせかえるような臭いに、戦闘慣れしているエイトも吐き気を感じた。

 

「こっちは剣で斬られた傷だな。あれは多分魔法、これは……噛み跡か」

 

 屍についている傷を見ながら、平然とソロが言う。

 

「この分だと、戦ってた方も無傷では済んでいないな」

「……あれは?」

 

 エイトの呟きにソロは振り返り、その視線の先を見る。そこには、アークデーモンの体に噛みついているドラキーがいた。二体とも、既に絶命している。その時、それまで二人の後にいたキラーパンサーが飛びだした。ドラキーの元に近づき、鼻を寄せる。エイトにはその顔がどこか悲しげに見えた。

 

 改めて辺りを見回すと、その場には数体、そんな魔物の屍があった。
エビルアップル、おばけきのこ、まほうつかい、イエティ、くさった死体……長い旅の経験があるエイトやソロですら見たことがない種類の魔物達。そのどれもが同じように通路の先へ行こうとする魔物を引きとめるようにして死んでいる。この先に、自分達の身を犠牲にしても守りたい何かがあったのだろう。

 

「行きましょう。この通路の先へ」

 

 エイトのその言葉に反応し、キラーパンサーは顔を上げる。名残惜しそうに魔物の死体から離れ、再び先導して歩き始めた。エイトとソロは、その後を無言でついて行く。血の臭いが、先に進むほど和らいでいった。

 

 

◆◆◆

 

 

「ガウガウッ!」

 

 何か目的の物を見つけたらしく、キラーパンサーは突然走りはじめた。
その先には木製の扉。彼はそれを開けたいらしく、扉をガリガリと爪で引っ掻きながら

二人に視線を向ける。動こうとしないソロの代わりに、エイトが扉を開けてやると、

キラーパンサーはすぐさま中に飛び込んだ。

 

 中は人が住めるような小部屋になっているらしく、テーブルやタンス、ベッドなどが置かれていた。そのテーブルの横に緑のスライムに乗る剣士――スライムナイトがおり、キラーパンサーは真っ先に彼の元へ駆け寄る。

 

「おかえりゲレゲレ。何か見つかったか?」
「ガウッ」
「ほう、旅人か」

 

 スライムナイトが二人に視線を向けると、ソロは咄嗟に剣を引き抜こうとした。
それを素早く片手で制して、エイトはスライムナイトに笑みを向ける。

 

「中に入っても?」
「勿論だ」

 

 渋るソロを促して、二人は部屋の中へ入った。
小窓から差し込む淡い光のおかげで、中は少々明るくなっている。

 

「時に旅人、毒消し草の類は持っておらんか」
「持っていますが、怪我をされているのですか?」
「私ではない。主人がな……どうか、それを譲っていただけないだろうか」
「勿論ですよ。そのご主人はどこに?」

 

 スライムナイトは無言でベッドに近づく。エイトもその後に続きベッドを覗き込むと、

そこには苦しそうな表情で横たわる男性がいた。かろうじで意識はあるようだが、

腹が大きく切り裂かれており、出血が酷い。更に毒も受けているのか血の気が失せている。

 

「これは大変ですね……」

 

 そう言いながら、エイトはふくろの中から小さな小箱と聖水を取り出す。
小箱をあけると赤い丸薬があり、エイトはそれを男に持たせた。

 

「これを飲んでください。少々苦いですが」

 

 男は頷いてから、その丸薬を口に放り込む。あまりの苦さに思わず眉を寄せる男。
エイトがその手に聖水を持たせると、彼はすぐに水を飲みほしてしまった。
すると腹の傷が癒えていき、次第に顔色も良くなる。

 

 男の容体が回復するまでの間、エイト達は情報を交換することにした。
といっても、魔物と会話することに抵抗があるのか、ソロは黙り込んでいたので、

ほとんどエイトが話していたのだが。

 

 そこでわかったのは、スライムナイトはピエール、キラーパンサーはゲレゲレ、

ベッドで眠る男はリュカという名前であること。そして、この場にいる全員が

ここに来る前に女神が現れる夢をみたことなどであった。

 

「でも、一つ自称女神様のお話で変なところがあるんです」

 

 眉間にしわをよせ、エイトは何かを考えこむようにしながら呟く。

 

「僕の世界にも暗黒神ラプソーンっていう奴がいたんですけどね、数年前に僕と仲間で倒したんですよ」
「生き返ったのか?」

 

 ソロはそう尋ねながら、剣身に布を滑らせた。
べっとりと付着していた赤が拭われると、白い輝きが顔を覗かせる。
その刃は数多の魔物を斬ったにも関わらず、欠けているところは一つも見られない。
ピエールはその剣を視界に入れた瞬間、目を見開いた。

 

「それはわかりません。でも、あの空に浮かぶ要塞にも見覚えがありますし、ありえない話ではないですね」

 

 エイトがそう話を締めくくると、今度はピエールが口を開いた。 

 

「……ソロ殿に、質問があるのだが」

 

 ソロは剣から顔を上げて、鋭い目つきでピエールを見る。
あからさまな話しかけるなオーラを放つ彼を見て、エイトは眉を顰める。

 

「あのですねぇ、いくらなんでもその態度は失礼だと思いますよ。

 魔物が嫌いなのかもしれませんが、今はそんな場合じゃあ」

 

「構わん。ヒトと魔物は相容れぬ存在だ、ソロ殿の反応は正しい。

 ……しかし、今は緊急事態。力を貸しては頂けないか」

 

 エイトの言葉を遮り、ピエールが言う。
それを聞き、ソロは目を伏せ暫し沈黙した後、静かに口をひらいた。

 

「……何を聞きたいんだ」
「その剣についてだ。その剣は、天空の剣ではないか?」

 

 ソロの目が見開かれる。

 

「ああ、そうだ。だが、どうしてそれを……」
「我が主の息子……テン殿が同じ剣を身につけておられた」

 

 さらりと話される衝撃的事実に、二人は同時にベットの方へ視線を向ける。

先ほどよりも穏やかな表情で眠るリュカは、どう見積もっても20代前半だ。
そんな彼に、剣を振るえるほど大きな子供がいるとはとても思えない。
エイトとソロの頭に、この人、何歳なんだ?という、共通の疑問が浮上した。
とはいえ、現在の話題とは全く関係のないこと。ソロは咳払いを一つすると、頭を切り替える。

 

「……いや、そんなはずはない。これは特殊な人間にしか装備出来ないはずだ」
「特殊な人間、それはつまり天空の勇者とエルヘブンの民の血を引いた子、ということだろうか?」

 

 ピエールの言葉を聞いた途端、ソロの眉間に深い皺が寄る。

 

「何を言ってるんだ? 天空の勇者は、俺だが」

 

 暫くの沈黙の後、聞きなれぬ単語に首を傾げていたエイトが口を出す。

 

「ええと、リュカさんの息子は天空の勇者とエルヘブン?の血をひいていて、ソロさんが天空の勇者ということは、つまり……ソロさんは、そのリュカさんの息子さんのご先祖様ということでしょうか」

 

「子孫? そんな馬鹿な話あるか。大体俺はまだ17だし」

 

「あ、僕より年下だったんですね。意外です。……じゃなくて、

 有り得ない話ではありませんよ。過去や未来からここに来た可能性もありますから」

 

「過去や未来って……本の読みすぎじゃないか?」

 

 それでもまだ納得いかないような顔をするソロに、エイトは苦笑する。

 

「まあ、今それについて深く考えるのは止めましょうか。

 それより、これからどうやってここを出るか考えなければ……」

 

 エイトはちらりと小窓に視線を向ける。小窓は人の頭が入るか入らないか程の大きさしかなく、

そこから出入りすることは不可能だ。

 

「出口については、大体の目星がついている。ゲレゲレのおかげでな」

 

 ガウッと明るく吠えるゲレゲレの頭を、ピエールが優しく撫でる。

 

「しかし、一先ずはここで休んでいったらどうだ。ベッドにもまだ空きがある」

 

 ピエールが指さす方には、ベッドが二つ並んでいた。
あんな数の魔物相手の戦闘をこなした後だ、エイトとソロの二人とも疲労感を感じている。
しかし、ソロは自身が寝ている間、魔物が番をすることに少し抵抗があるようだった。
それを察知したエイトが、自分が番をすると名乗り出ようと口を開く。

 

 が、それは別の声によって遮られた。

 

「僕が番をしよう」

 

 ベッドからむくりと上半身を起こし、黒髪の青年が言う。
それを見て、ピエールは慌てて彼の元に駆け寄った。

 

「我が主、もう起きていても大丈夫なのですか」
「ああ、あの薬のおかげでやっと気分がよくなったよ。ありがとう」

 

 リュカの澄み切った目に、エイトの姿が映る。

 

「いえ、それはいいんですが……あの、病み上がりの人に番をお願いするわけには」
「僕はこの通り、もう元気だから大丈夫だよ。それに、今までずっと寝ていたからもう眠れる気もしなくてね」

 

 そう言って苦笑するリュカに対し、エイトの表情も少し和らぐ。

 

「では、お言葉に甘えて。いいですよね、ソロさん?」
「俺が断ってもお前は意見を変えないだろ。まあ、丁度休みたいと思っていた所だ、ベッドを借りよう」

 

 くあ、っと欠伸をし、装備や袋を棚の上に置く。
それでも剣は枕元に置くのは、今までの旅で身についてしまった癖か、

未だ魔物を警戒しているからか。エイトもそれに倣い、棚の上に持ち物を置いていく。

そして、ベッドの中にもぐりこむと、自然と瞼は落ちてきた。

 

「では、お願い……します……」
「うん、番は任せて。ゆっくり眠って」

 

 エイトの隣からは、早くもソロの寝息が聞こえてくる。
エイトはリュカに礼を述べると、そっと眠りについた。

 

 

 

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