花盗人


 手折った花は、その美しさを損なうことなく俺の手にあった。

 夕暮れ時、夕日で真っ赤に染まった村を見ていると旅立ちの日を思い出す。家屋にくすぶる赤、地面に広がる赤、拾い上げた羽帽子の赤。あの日の記憶は鮮やかな赤で彩られ、瞼を閉じるだけで容易く目の前に広がる。村人の名を、両親の名を、幼馴染の名を叫んだ後の沈黙。何かが焼き焦げるような臭い、魔物特有の胸糞悪い悪臭。どれほどの時が流れようと、記憶が霞む気配はない。世界に平和をもたらし、焼け落ちた家屋を片付けて、毒の沼地も聖水で浄化し、頭上の雲もこうして夕日が差し込むほどになった、今も尚。時折、耐え難い孤独と絶望にかられることがある。

 

 今も、そうだ。

 

 数多の墓標の前に立ち尽くす俺の手に、花は一つ。それを誰に捧げるべきかを考え、途方に暮れていた。

 

「ソロさんって、時々滅茶苦茶なことしますよね」

 

 不意に背後から聞こえた声、ため息混じりの言葉を吐いた主が誰かなど振り返らずとも分かった。

 

「何の用だ」
「花盗人さんに会いに来ました」

 

 思わず舌打ちする。エイトの情報網は侮れないことは理解していたが、こんなにも早く嗅ぎ付けてくるとは思わなかった。この男は全くどこからそんな話を仕入れたのだろうか。世界樹から花を奪って、まだ一日も経っていない。険しい岩山に囲まれた立地故、周辺諸国にもまだ話は行き渡っていないと踏んでいたが。

 

「どうせ、墓に供える段階になって誰に捧げるべきか迷っているんでしょう? シンシアさん、ご両親、村の人、あるいは、旅のお仲間が失った大切な人、旅の最中で救えなかった人、考え出せばきりがないですから」

 

 不本意だが、エイトの言うことは図星だった。誰か一人を選ぶということは、その他の人間を切り捨てるのと同意義で。花を手に入れたとしても、最初から選べるはずもなかったのだ。絶望から這い上がろうともがけばもがくほど、更に溺れていくような錯覚に陥る。嗚呼、皆をこちらに引き上げてやれないのなら――いっそ自分が――


「ふッざけんな!! たった一人だけなんてケチくせぇこといってんじゃねぇッ!!」


 びりびりと鼓膜が震える。頭の中に直接突き刺さるような怒鳴り声だった。

 

「……は?」

 

 反射的に振り返ると、エイトは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべていた。茶色の瞳に、呆気にとられた俺の間抜けな顔が映り込んでいる。

 

「って、怒鳴って下さいよ。いつもみたいに」

 

 今度は普段の軽いトーンでそう告げる。さっきの怒鳴り声は自分に注目を向ける為、わざとやったのだろう。俺はまんまとそれにハマって振り返ってしまったのだ。奇妙な敗北感を覚えつつ、ゆっくりと立ち上がってエイトと対面した。

 

「怒鳴っても変わらねぇだろ、現実は」
「変えるんですよ、現実を」
「どうやって」

 

 そう尋ねると、エイトは待ってましたとばかりに笑みを深くした。

 

「神様に直接文句を言いに行きましょう」

 

 ぴんと真っすぐに伸びた指先が、天を指さした。それを聞いて、腹の底から深いため息をつく。それは神様に喧嘩を売りに行こうと言っているのだと、この阿呆は理解できているのだろうか? ……しかし、このまま墓場で花を片手に立ち尽くすよりは魅力的な提案にも思えた。

 

「断られたらどうすんだ」
「そこは、まあ。実力行使で」
「危険思想だな」

 

 だが、悪くねぇ。そう言ってやると、エイトは声を上げて笑った。腹の底から声を出している、ヤツにしては珍しく嫌な感じがしない笑い方だ。それにつられて、不本意ながらほんの少しだけ口元を緩める。

 

「そうこなくっちゃ。早速、ルーラで連れて行って下さいよ」

 

 差し出された右手。それを掴むと温かい。ああ、こいつは生きているんだな、と今更な考えが頭を過ぎる。冷たい墓石ばかり触れていて、生きている人間に触れる感覚をすっかり忘れてしまっていたらしい。

 

「しゃーねぇな。行くぞ」

 

 花を盗んだ罪人が、神に許されるとは思えない。ましてや、全員を生き返らせて欲しいなどという我儘など聞いて貰える訳もない。門前払いをされるか、かつて父に与えたような天罰を下されるだけだろう。けれど、二人なら。世界を救った人間が二人いるなら、この現実を変えられるような気がした。

 

 花を握りしめていた手を天高く突き出す。
 全知を自称するならこれも見えているだろう。ヤツへの宣戦布告だ。

 

「ルーラ」

 

 俺の手の中で。手折られた花は、相変わらず美しく咲き誇っていた。

 

 

 

 

 

 

 

二人でなら、神様だって殴りに行けると思います。