理由


 人々の記憶から、“勇者”がいなくなったのはいつからだったか。

 

 正確な時期は全く分からない。何故なら、俺はほとんど村から出ないからだ。
久々に外に出て、馴染みの店のおばさんに「うちの店は初めてかい?」と問われようやく気づいた。ルーラで各地を回ってみたものの、やはり誰も自分のことを覚えていない。それどころか『世界を救った事実』すら記憶されてなかった。

 

 それに気づいた時、俺は――何もしなかった。平和な世には、勇者など不必要。むしろ、それが争いの種になることすらある。それならばいっそ、勇者なんてこの世から消えた方が良い。仲間の記憶からも消えるのは寂さを感じるが、元より天涯孤独の身。父さん、母さん、村のみんな、そして、シンシアの墓を守りながら、ひっそりと暮らし――死ぬのも、いいかもしれない。

 

 “勇者”が消えることを歓迎する理由はいくらでも思いつく。しかし、“勇者”を取り戻す理由は一つも思い浮かばない。結局、俺は世界の変質に気付きながらも行動を起こさずにいた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 トン、トン、トン。

 

 朝、俺は雨が窓を叩く音で目覚めた。眠い目を擦りつつ、窓の外を見る。土砂降りの雨だった。鈍色の雲から、未だ撤去しきれていない家の瓦礫や、村人たちの墓に降り注いでいる。それを暫くぼんやりと見つめながら、畑の様子を見に行こうかと考えていた。

 

 トン、トン、トン。

 

 さっき聞いた音だ。だが、目の前にある窓からじゃない。
ゆっくりと視線を扉の方へ向ける。まさか、誰かが訪ねてきたのか? 誰も俺のことを覚えているはずがないのに。いや、探し切れなかっただけで、俺を覚えてる奴が存在したのか? それとも……この変質の元凶? 

 

 ベットの脇に置いてあった剣を腰に帯び、扉に近づいた。「今、開ける」と言葉をかけ、ノブを回し扉を開く。

 

 そこにいたのは、見慣れた青年の姿だった。思わず脱力したが、剣にかけた手は離さずに相手を観察する。赤いバンダナに、黄色い上着、青いインナーと相変わらず理解しがたい服装。それも、雨を大量に吸い込んで重そうだ。このままでは風邪を引くだろう。家に置いてあるタオルの位置を思い出しつつ、口を開いた。

 

「な……」

 

 なにしに来たんだ、と言いかけて、やめた。明らかに様子がおかしい。いつも緩やかに弧を描いていた口は、今は真一文字に引き結ばれており、何かを耐えるように噛み締めている。それに、目元が赤い。子供が泣き腫らした跡のようだ。いつもの不遜なほどの余裕がなくなっている。姫と喧嘩したか? トロデーン王国をクビになったか? どちらもあり得ないとは思うが、それほどの事態でないと、彼がここまで追い詰められることはないだろう。

 

「……どうしたんだ、エイト」

 

 エイトの目が、大きく見開かれる。そして、ぼろっと雨とは違う水滴が頬を伝った。

 

「僕のこと、覚えてるん、ですか!?」
「はぁ? お前みたいな個性が強い奴、忘れたくても忘れられねぇよ」

 

 と、答えつつも、大体察しはついていた。エイトもまた、自分と同様に世界から忘れられたのだろう。敬愛するトロデ王や、妹のように可愛がっているミーティア姫、家族同然のトロデーン城で働く者、かつて共に旅をした仲間、旅先で出会った多くの人々――それらすべてに自分の存在を否定されたのだ。元より人との繋がりが希薄な自分と違い、普通の生活をしていたエイトには辛かったことは想像に難くない。

 

「あー……とりあえず、朝飯食うか?」

 

 力なく頷くエイトを家の中に迎え入れつつ、俺は溜息をついた。どうやら、“勇者”を取り戻す理由が出来てしまったらしい。それはとても煩わしく不本意なこと、のはずだ。それなのに。

 

「全く、仕方ないな」

 

 

 それに、安堵している自分がいた。

 

 

 


元々、共同戦線企画のお題に沿って書いたものでしたが、
戦闘をしていないという基本的なことに気付き没になりました。

 

なんだかんだで、エイトとソロは仲が良いと思います。