vs エスターク

 

 鈍く光る黄金の巨体が、悠々と森の中を歩いている。
全身から放たれる威圧的な邪気に怯え、周囲の生き物が次々にその場から離れていく。
聞こえるのは、その巨体から微かに聞こえる呼気の音のみ。

 

――“それ”は、地獄の帝王と呼ばれていた。

 

「おい。なんだあれは」

 

 少し離れた所にある岩の影で、ソロが低く押し殺した声で隣人に尋ねた。
 尋ねられた隣人――エイトは、さして声を抑えることもなく平然と答える。

 

「あれは野良魔王です」
「ふざけてんのかテメェ」

 

 腰に帯びた剣に手をかける。
チャキ、と小さな金属音と共に、美しく滑らかな刀身が少し外気に晒された。

エイトは暴力反対、といった風に両手を上げ言葉を続ける。

 

「本来はナインさんの世界にいた物ですが、旅の扉の誤作動で来ちゃったようで」

 

 はぐれ魔王、と言った方が良かったですかね、とズレたことをのたまうエイト。その口元はいつも通り、緩く弧を描いている。人を食ったような、嘘くさい笑みがソロの神経を逆撫でした。ソロは剣を引き抜こうとする手を、強靭な精神力で何とか抑える。

 

「……事情は分かった。つまり、今回の討伐対象はアレなんだな」
「はい。ナインさんによれば、レベルは高くないようです。二人でも大丈夫かと」

 

 成程な、と答えて、ソロは岩陰から相手を観察する。元々鋭い眼光が、更に鋭さを増した。頭の中で倒し方の手順でも考えているのだろうか。全身から滲み出るドス黒い殺意に、エイトは思わず顔を顰める。

 

「で、作戦はどうします?」
「俺にまかせろ。以上」
「えー! ガンガン行こうぜにしましょうよ。僕、援護苦手なんで」
「我が儘を言うな。回復だけでもいいからやれ」
「はーい」

 

 エイトは渋々頷き、背中から英雄の槍を抜く。

 

「先手はお前が取れ。後は俺がカバーする」
「了解」

 

 エイトの口端がきゅっと吊り上がる。そして軽やかに岩を飛び越え、エスタークの背後へ一直線に駆けた。不意打ちの上に、死角からの攻撃。気配に気付いて振り返った時にはもう遅く、疾風のような一突きが深々と巨体の横っ腹に突き刺さっていた。突然の痛みに、エスタークは本能のまま吼える。その雄叫びは、傍にいたエイトの鼓膜を痛いほど震わせた。しかし、彼は怯えるどころか、口元の笑みを更に深くする。

 

「よっ、と」

 

 突き立てた槍を、半回転捻ってから引き抜く。それとほぼ同時に、剣を持った右腕がエイトの頭を狙って振り下ろされた。が、突然空から落ちてきた雷を受けて、動きが鈍る。結局、振り下ろされた剣は、服を浅く切り裂くのみに留まった。

 

 追撃しようと動かした左腕が動かず、エスタークは逆の方向を振り返る。そこには大きく跳躍し、腕の中程までを一気に切り裂いたソロの姿があった。遅れて痛みを感じ、再び雄叫びを上げる。地面が震え、木々が大きくざわめくが、ソロは涼しい顔でそれを受け流した。暴れる左腕を軽く避け、一旦距離を置く。

 

「攻撃の要は腕だ。速攻で両腕を潰すぞ」
「いいですね、そういう作戦の方が好きです!」

 

 槍を手足のように操りながら、エイトは再び攻撃を仕掛ける。腰を深く落とし、素早く軽い突きを幾度も繰り出した。攻撃の質よりも数で圧倒する手法。だが、敵は本物ではないとはいえ“地獄の帝王”エスタークだ。黙って攻撃を受けているわけではない。エスタークは古代の呪文を紡ぎ、エイトの頭上に巨大な炎の塊を練り上げる。

 

「やっば」

 

 笑みを浮かべた顔に、冷や汗が流れる。詠唱を聞けば直ぐに分かる。炎系統で最上位の呪文、メラガイアー。回避体勢に移っても間に合いそうにない。被弾を覚悟した瞬間、エイトの身体を紫色の濃霧が包み込んだ。呪文を無効化するマホステ。それを誰が放ったかなんて、振り返らなくても分かる。エイトは心の中で感謝を述べると、呪文の詠唱に取り掛かった。周囲に蒼く輝く魔法陣が展開する。直後、頭上から業火が降り注いだ。しかし、身に纏った濃霧が熱や火を吸い取り、身体を守り切る。呪文を紡ぎ終えるのと、業火が消えるのは、ほぼ同時だった。

 

「ジゴスパーク」

 

 トン、と軽やかに槍で地面を叩く。その瞬間、魔法陣が大きく広がり、周囲一帯を呑み込んだ。魔法陣から現れるのは、罪人を裁く地獄の雷。黒く光るそれが、雨のようにエスタークに降り注いだ。間髪入れず、ソロが左腕に接近し、剣を振りかざす。銀色の刀身が白く輝き、凄まじいエネルギーを放った。ギガソード。ソロの唇がそう動いたのと同時に、剣が一気に振り下ろされる。大木の幹のように太く頑丈な腕を、小枝を手折るような容易さで切り落とした。地面に剣を握りしめたままの左腕が転がる。

 

 左腕を失い激昂したエスタークが、残った右腕でソロに斬りかかる。ソロは咄嗟に身を捻り、急所への攻撃を避けた。その代償として、刃が右肩を大きく抉る。しかし、血が迸るよりも早く、右肩が光に包まれ傷がふさがっていった。

 

「ちゃんと回復しましたからね」

 

 すれ違いざまにそう言ってニッコリと微笑むと、エイトは咆哮を上げるエスタークに肉薄した。そして、槍の穂先を高く掲げる。詠唱は既に発動キーで完成する所まで来ていた。呼吸を整え、意識を研ぎ澄ませる。

 

「ギガディン!」

 

 天上から降りた巨大な雷は槍の先端に収束する。エネルギーが爆ぜるよりも早く、エイトは槍を大きく薙いだ。ただの薙ぎ払いが、ギガディンの後押しを受けて力を増す。迸る白い雷。光り輝く穂先が、エスタークの右腕を切り落とした。

 

「上等。これで、最後だ」

 

 ソロは剣の刀身に指を添え、滑らせる。すると、剣が輝きを放った。その剣を正眼に構え、エイトと入れ替わるようにエスタークへ肉薄する。しかし、両腕を失っても尚、エスタークの目から戦意が消えることはなかった。両足を踏ん張り、息を吸い込む。大きく開かれた口の中に、煉獄を連想させるような火炎が見える。火炎を吐き出そうとした、その刹那。

 

「~~~っ!?」

 

 不意に額に鈍い衝撃が走り、エスタークは思わず息を詰めた。吐き出しかけた炎が口の中で燻ぶる。それがブーメランによる一撃であると気付いた時にはもう遅く、白く光る刀身が胸に深々と突き立てられていた。

 

 口からドス黒い血が溢れ、ゆっくりと地面に倒れ伏す。そこに、戦いを続ける意思は感じ取れない。エイトは槍を背中に戻し、ソロの元へ駆け寄る。ソロは剣を鞘に納めることなく、浅い呼吸を繰り返すエスタークをじっと見つめていた。その隣に立ち、エイトもエスタークの顔を覗き込む。

 

「ああ、経験値が欲しそうな目でこちらをみていますね」
「はぁ? 敵に経験値なんて渡すわけねーだろうが」

 

 それを聞くと、エスタークは悲しげな目をして、地面に顔を伏せた。地獄の帝王が無言で哀しみを表現している様はシュールだ。

 

「あー、ソロさんがエスタークを泣かせたー」
「テメェもついでにぶった斬ってやろうか?」

 

 ソロが剣の切っ先を向けると、エイトは人を食ったような笑みを浮かべたまま、ひらひらと手を振って「遠慮しておきます」と言った。流石に、無抵抗の相手に剣を抜けない。ソロは苛立ちを溜息と共に吐き出すと、剣を下ろす。

 

「で、どうすんだコレ」
「ナインさんが引き取りに来ます。例の列車で」

 

 と言うのと同時に、空の彼方から聞きなれた列車の汽笛が聞こえる。早速お迎えが来たらしい。ソロは剣を鞘に納めて、肩を軽く回した。先ほど斬撃を受けた右肩に触れ、調子を確認しつつ、ぼそりと呟く。

 

「……疲れたな。家に帰ったら寝るか」
「えっ、晩御飯作ってくれないんですか!?」
「うちで食べる気満々かよ。図々しいなお前」
「今日はシチューが食べたいですね」
「おい俺の話を聞け」

 

 無言で地面に伏せる地獄の帝王を背景に、普段通りの掛け合いを続ける二人。
列車がその場に着く頃には、ソロはエスタークと戦った時より疲れていた。