第八話

 中々降りてくる気配のないエイトを不審に思い、ソロは台座を上ろうと階段に足をかける。
その瞬間、台座の上で業火が迸り、エイトの体が高く宙を舞い、落下した。
階段に全身を叩きつけ、ごろごろと階段を転がり落ちる。
状況の変化に頭が追いつかず、その場にいた者はただ呆然とその様子を見ていた。
そんな中、真っ先に我に返ったのは、ソロだった。


「エイト!」


 ソロが階段を駆け上がり、転がり落ちるエイトの体を受け止める。
未だエイトの体を蝕む炎がソロの腕を焼いたが、痛みに構っている暇はなかった。
ゼロ距離でメラゾーマを受けたエイトは、胸を中心にひどい火傷を負っている。
ソロがエイトの口元に耳を寄せると、僅かに呼吸音が聞こえた。


「あら、まだ生きてるのね」


 ソロがハッと顔を上げると、目の前にゼシカが立っていた。
彼女は口元に妖艶な微笑を浮かべながら、悲惨な姿になりながらも呼吸を続けるエイトを見下ろす。


「生きてても苦しみが続くだけなのに……悲しいわ。とっても悲しい」
「……お前がやったのか」


 ソロは並みの魔物なら逃げ出すような鋭い眼差しでゼシカを睨みつけた。
しかし、それを受けてもゼシカは眉ひとつ動かさず平然としている。
むしろ、そんな表情が心底愉快であるかのように、笑みを深くした。


「ええ、そうよ」
「お前は、エイトの仲間じゃなかったのか?」
「仲間? ふふ……そんなもの、この洞窟では無意味なことくらい、貴方が一番知ってるでしょう」


 ゼシカの答えに、ソロは一瞬目を見開く。
彼女はくすくすと不気味な微笑みを浮かべながら、洗練された動作でソロに一礼した。


「そういえば、自己紹介が遅れたわね。私はゼシカ・アルバート。暗黒神様の命令で貴方たちを殺しに来たわ」


 彼女はそう言いながら、不意にソロに向けて手をかざした。
その手の平は赤く輝き、魔力の粒子が渦巻いている。
ソロは息を呑んだ。魔法が発動キー一つで発動する段階まで完成している。
呪文を詠唱する時間などなかったにも関わらず。


「じゃ、死になさい」


 輝きが一層増し、魔力の粒子が膨張する。それは、魔法が解き放たれる兆候。
ソロはエイトを抱きかかえ、横に跳んで階段から落ちる。
しかし、それは無駄なあがきにしかならないことは、ソロ自身が分かっていた。
攻撃魔法の精度は高い。ほぼ百パーセントと言っても良い。
術の行使者の視界内にいる限り、逃げることは不可能。


――ただし、妨害されなければの話だが。


「メラゾーマ」
「バギクロス!」


 ゼシカの手から炎の塊が放たれるのとほぼ同時に、聖なる気を纏った風が飛来する。
風と炎は真正面から衝突し、近くにいたソロの頬を熱を孕んだ風が撫でた。
相殺しきれなかった炎が襲い掛かる前に、ソロは地面に降り立ち、部屋の隅へ避難する。


「私の魔法をかき消すなんて……いいわ、貴方から殺してあげる!」


 ゼシカはバギクロスを放ったリュカを睨みつけ、再び手をかざす。
再び魔力が手が収束していくのを見ながら、リュカは指を唇を当てて指笛を鳴らす。
澄んだ音が辺りに響くのと同時に、ゲレゲレが駆け出した。
ゼシカは小さく舌打ちをし、手に集めた魔力を飛散させると、腰につけた鞭を手に取る。
三本の鞭を一つに束ねたような形状に、その場にいた誰もが見覚えがあった。
鞭使いなら誰もが欲しがる伝説の鞭、グリンガム。


「こっちは僕たちがなんとかする。君は治療に専念してくれ!」
「ああ、わかった!」


 ソロがエイトを地面に横たえるのを見届けてから、リュカはゼシカへ視線を移した。
ゼシカがゲレゲレに向けて鞭を振るうが、ゲレゲレは素早い身のこなしでそれを避けている。
狙いの外れた鞭の先端が階段を叩く度に、派手な音と共に階段にヒビが入った。


「ピエール!」


 リュカに名を呼ばれ、ピエールは小さく頷くとゼシカたちの方へ手をかざした。
先ほどからずっと詠唱を続け、今、ようやく呪文が発動できる段階まで到達したのだ。
かざした右手に淡い輝きが収束し、解き放たれる時を待つ。
一呼吸置いて、ピエールは発動キーを唱えた。


「イオラ!」


 その瞬間、激しい爆発が起きる。狙いはゼシカ、ではなく、鞭の攻撃を受けて脆くなった足場。
多くのヒビが入った階段に、イオラの爆発は止めとなった。
がらがらと崩れ落ちる階段。それを予期していたように、ゲレゲレはその場から飛び退く。
足場である階段が崩れるという不意打ちの攻撃に、ゼシカは面食らった――かのように、思えた。


「マヒャド」


 ゼシカが手に溜め込んだ魔力を解き放つと、彼女の足元が凍りつく。
崩れ落ちる瓦礫を氷で結びつけて作った足場。
彼女はそこに立ち、ゲレゲレに向かって鞭を振るった。
空中で身動きの取れないゲレゲレは、あっさりと鞭に絡め捕られる。


「悪い子には、お仕置きよ」


 ゼシカは鞭の先にゲレゲレを絡めたまま、瓦礫が転がる地面にたたきつける。
全身を強く打ち付けて小さく唸るゲレゲレ。それに追い打ちをかけるように、ゼシカが手をかざした。
その手から迸る熱を持った魔力は、特大級の魔法を予感させるには十分だった。


「メラガイアー」


 先ほど放たれたメラゾーマよりもさらに大きい炎の塊が、ゲレゲレに向かって落下する。
ゲレゲレは鞭による拘束から逃れようともがくが、炎の塊の落下に間に合いそうにない。
しかし、突如、紫色の霧がゲレゲレの体を包み込んだ。
その上に炎の塊が落ちてくるが、霧がそれを覆い隠すように大きく膨らみ、炎を完全に吸収した。
ゼシカはそれを放った術師を睨みつける。彼女の視線の先には、ソロがいた。


「よっぽど先に殺されたいようね」


 自身の行為を邪魔されたことが腹立たしかったのか、再び手に魔力を集める。
しかし、背後から振り下ろされた刃によって、それは中断せざるを得なかった。
ゼシカは刃をギリギリで避け、切りかかってきたピエールと相対する。


「ソロ殿に攻撃はさせん。そうしたいなら、私を倒してから行くといい」
「……たかが、スライムナイトの癖に。大口を叩かないで」
「大口どうかは、剣を交えればわかるだろう?」


 剣を正眼に構えるピエールに対し、ゼシカは口元を歪めた。
彼女が一度鞭を振るうと、ゲレゲレが解放され地面に転がる。


「いいわ、確かめてあげる。……だから、私を悲しませないでね?」


 ゼシカが鞭を振り下ろすと同時に、ピエールはゼシカの懐目掛けて大きく跳躍した。


◆◆◆




「近接攻撃まで出来る術師なんて無茶苦茶だな……」


 ゼシカとピエールが氷で出来た足場の上で激闘を繰り広げているのを見つつ、ソロは溜息をつく。
鞭の攻撃を剣ではじき、剣の攻撃を鞭で逸らす。一進一退の攻防。
だが、そもそも魔物と魔法使いが接近戦で同等の戦いが出来ていること自体おかしいのだ。
一般的に魔法使いは力や体力が戦士よりも劣るとされている。
少なくとも、ソロの仲間であるマーニャやブライはそうだった。
術師でありながら戦士の訓練を受けているクリフトでさえも、あそこまで戦えるとは思えない。


 エイトに薬草を使った治療を施しつつも、ソロの意識はゼシカとピエールの戦いに向けられていた。
ゼシカが隙あらば魔法を放とうとするのを、ピエールが彼女の集中力を削いでなんとか阻止している状況だ。
もし一度でも高位の攻撃呪文が放たれたなら、形勢は一気にゼシカに傾くだろう。


「ソロ……さ……」


 掠れた声が耳に入り、ソロは慌ててエイトの顔を覗き込む。
エイトの目が薄らと開いていた。視点は定まっておらず、ぼんやりとソロを見ている。
ソロはそれを見た瞬間少し表情を和らげたが、すぐにいつもの無表情に戻った。


「喋るな。体力を無駄に消費する」
「……僕の、ふくろの、なかに……くすりが……」
「薬?」


 ソロはその言葉を受けて、エイトの腰にある袋を手に取る。
そして、中身を一つ一つ取り出し、地面に置いていった。
大半がソロも見たことがない形状のものばかりだったが、ある小箱を手に取るとエイトが小さく頷いた。


「それ、くださ……っ」


 エイトがげほ、と咳き込むと、地面に赤い血が散る。
それと同時に傷口も開いたらしく、胸の上に置かれた薬草の葉に血が滲んだ。
ソロは小箱を開き、赤い丸薬を取り出す。
それは、リュカを解毒する際に使ったものと同系統の薬らしかった。


「これか。よし、口開けろ」


 素直に開かれた口に、ソロは丸薬を入れる。エイトは丸薬をかみ砕き、飲み込んだ。
すると、口の中に苦みが広がったのか、エイトは渋い顔をする。
しかし、苦みに比例して効能も高かったらしい。
胸の傷から滲んでいた血は止まり、新たな皮膚を形成しようとしていた。


「……水を」
「ああ」


 差し出されたアモールの水を受け取り、エイトは自分の手で口の中に注ぎ込む。
清い水が癒しの力を加速させ、水を飲み干す頃には胸の火傷は完全に癒えていた。
その回復力に感心しつつ、ソロはエイトの体を助け起こす。


「もう、大丈夫です。すみません、ご迷惑をおかけして」
「気にするな、しばらく休んでおけ。あの女はリュカが抑えてくれる」


 その言葉にハッと顔を上げたエイトは、未だ戦いを続けるゼシカとピエールの方を見た。
リュカの手により回復したゲレゲレや、回復と補助を担当するリュカもその戦いに入っている。
しかし、三対一であるにも関わらず、戦況はややゼシカに傾いていた。
殺意を持って戦うゼシカに対し、相手を殺すつもりがないリュカたち。
その意識の差は、攻撃をしかける手に影響する。


「……ゼシカは恐らく、暗黒神に操られています」
「暗黒神に?」


 ソロが聞き返すと、エイトはゆっくりと頷いた。
その視線をゼシカに向けたまま、口を開く。


「前に操られた時と、今の状況が酷似しています」
「その時はどうやって戻したんだ」
「退魔の結界を……けれど今は、結界の材料も、術師もいないから不可能です」


 そうか、と深い溜息をつくソロ。
エイトはアモールの水をもう一本飲み干した後、ぐっと口元を手の甲で拭った。
そして、背中の槍を引き抜き、杖代わりにして地面から立ち上がる。
それを見てソロはすぐにエイトの腕を掴んだ。


「待て。ここは俺たちに任せて、お前は体力を回復させることに集中しろ」
「もう平気です。離してください」
「ダメだ。お前は行かない方がいい」
「どうしてですか!?」


 エイトは声を荒げて、自身の腕を掴むソロを睨みつける。
対するソロもエイトを睨み返し、ため息交じりに言葉を吐いた。


「……じゃあ、はっきり言わせてもらうが、お前は仲間と戦えるのか?」
「仲間だからこそ、戦わなきゃいけないんですよ!」


 予想外の反応だったのか、ソロが少し驚いたように目を見開く。
エイトは目を伏せ、ぐっと唇を噛み締めた。
肩が何かを耐えるかのように小さく震えている。


「この状況で一番辛いのはゼシカです。仲間として、僕は彼女を救わなきゃならない」


 だから離してください、と告げる声は思いの外ハッキリとしていた。
苦い顔をしていたソロはその言葉を聞き、ふっと表情を崩して手を離す。


「……わかった。そこまで言うならさっさと行け。補助魔法くらいは打ってやる」


 そう言ってソロは軽くエイトの背中を押し、ゼシカの元へ行くように促した。
エイトは一瞬ソロの方へ視線を向け、目で礼を告げると改めてゼシカの方へと向き直る。
そして無言のまま、ゼシカの元へゆっくりと歩み寄っていく。
ゼシカの方もそれに気づき、ピエールの斬撃を軽くいなして氷の足場を飛び下りた。
彼女はエイトの前にふわりと着地する。口元に浮かべるは、嘲笑。


「なぁに、どうしたの? もしかして、私に殺されにきたとか?」
「いや、君を止めに来た」
「止める?」


 ゼシカはくすくす、と笑う。エイトは彼女が笑うのを無機質な瞳でただ見ていた。
リュカたちはその様子を見ながら、いつ自分たちが介入すべきか迷っていた。
ソロも同じく、補助呪文をいつでも発動できるように詠唱を開始する。


「リブルアーチで戦った時は、まともに私を傷つけられなかった癖に!」
「……あの後、ゼシカと約束したんだ。もしも、また乗っ取られることがあったら、」


 ゆっくりと槍を構えるエイト。彼の瞳に迷いはなく、真っ直ぐにゼシカを射抜く。
それを見て、ゼシカの顔が明らかに強張った。


「殺してでも止めるって!」


 瞬間、槍が突き出される。ゼシカが反射的に上体を反らすと、喉元を槍の穂先が浅く切った。
慌てて距離を取ろうと手に魔力を集めるが、間髪入れずに次々と槍の先端が襲うため集中力が持たない。
エイトが一歩踏み込むたびに、ゼシカが一歩後退する。そんな状況だ。
しかも、どれも術師にとって最大の弱点だとされる喉を狙った攻撃ばかり。
一度でも槍が喉を貫いてしまえば、ゼシカに勝ち目はない。


――しかし、それだけではなかった。


 ゼシカの耳に微かに届いた、彼女にとって聞きなれた言葉の羅列。
ハッとしてゼシカが顔を上げると、エイトの口が動いていた。
それはすなわち、槍を操りながら呪文を紡いでいるということ。


「嘘、どんな集中力よ……!」


 常識外れの行動に思わず小声で悪態をつくが、状況は好転しない。
ゼシカは詠唱の内容から、ベギラゴンを発動させようとしていることを察した。
メラゾーマと同じ高ランクの魔法。その威力は絶大だ。
もしもそれをこの至近距離で発動されたら、ゼシカは先ほどのエイトと同じ状態になるだろう。
いや、もっと悪いかもしれない。魔法使いの耐久力は、紙同然なのだから。


「きゃあっ!」


 不意に避け損ねた一撃が、ゼシカの肩を裂いた。
赤い血が飛び散り、槍の穂先を濡らす。苦痛で顔を歪めるゼシカ。
彼女は小さな悲鳴を上げ、思わずよろける。その瞬間、エイトの瞳が僅かに揺れた。
槍を突き出す動きに生じた迷い。それを見て、ゼシカは歪んだ笑みを浮かべる。


「っらぁ!」


 その隙を突き、ゼシカは鞭を振るった。鞭が大きくしなって槍の柄に何重にも巻きつく。
そしてそのまま、ゼシカは自身の持つ鞭ごと槍を放り投げた。
双方武器を失ったものの、ゼシカは臆することなくエイトに両手をかざした。
右手は冷気を纏って白く輝き、左手は熱気を纏って赤く輝いている。
二つの気が接触するところは、パチパチと小さな火花が起きていた。


「消えてしまいなさい! メド――」


 発動キーを言い終わらないうちに、エイトの姿が紫色の霧に包まれる。
先ほどゲレゲレを救ったものと同種の霧。
攻撃魔法が無効化されると判断したゼシカは、即座に手に集めた魔力を飛散させ、新たな魔法を組み上げる。


 不意に、紫色の霧の中から白い腕がぬっと現れた。
しかし、新たな魔法を作り上げるのに夢中なゼシカは気づかない。
白い腕は手の平に赤い輝きを纏いながら、ゆっくりとゼシカの腹に触れた。
服越しに伝わった熱でゼシカはようやくそれに気づき、息を呑む。
霧の向こうから、小さな謝罪の言葉が聞こえたような気がした。


「ベギラゴン」


 直後、紅蓮の炎がゼシカを襲った。

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