注意!!

ドラクエ4のエンディングにおいて出てきたシンシアは幻という解釈をしています。

それが苦手な方は、回避をお願いします。

 

勇者の故郷

 

 

 仲間たちを全員送り終えた俺は、ようやく故郷に降り立った。崩れた家屋も、荒れ果てた畑も、毒で覆われている花畑も、数年前と何一つ変わっていない。ここだけ時間が止まっているようだ。村の中へ足を踏み入れる。頭上には黒い雲が重く垂れ込み、日光を遮っていた。ピサロを倒したというのに、この村にかけられた呪いはまだ解けないらしい。どうすればこの呪いは解けるのだろう。この世界にいる魔物を全て滅ぼす、とか?

 

「はは、」

 

 馬鹿げた考えに思わず自嘲する。そんなことをしても、今度は魔界に新たな勇者が生まれるだけだ。俺はそこまで落ちぶれちゃいない。深く溜息をつき、持っていた盾を無造作に放り投げた。高い音を立てて地面に転がっていく盾を横目で見つつ、手際よく鎧の留め金を外していく。全て外し終えると、鎧も盾と同様に投げた。頭の兜も毟り取るようにして外し、地面に叩き付ける。最後に腰に帯びた剣を取り、投げ捨てようと腕を振り上げた。

 

「……っ」

 

 手が、振り下ろせない。剣は魔物を屠るために必要なものだ。俺は今までそれだけを心の拠りどころにして生きてきた。もしこの剣を手放してしまったら――今まで抑えてきたものが、全て溢れ出てしまいそうだ。それが、怖い。長らく忘れていた感情が心をざわめかせる。それを深呼吸で鎮めて、剣を持つ手を少しずつ緩めていく。やがて、支えを失った剣は地面に落下した。毒の沼に落ち、粘り気を帯びた毒がはねる。白い剣身は黒い毒に浸食され、やがて、見えなくなった。

 

 これで、終わったのだ。

 

 不意に、身体から力が抜ける。立っていられなくなって地面に倒れ込んだ。倒れた先には毒の沼。皮膚と接触している所から、緩やかに体力を奪われていく。このままここに横たわったままであれば、いずれ命を落とすだろう。そんなことは、どうでもいい。ようやく勇者としての務めを果たせたんだ。皆の後を追ってここで死ぬのも悪くない。ああ、何を考えているんだ俺は。思考まで毒に侵されてしまったのか。閉じていく瞼。霞んでいく視界。その中に、不意に鮮やかな桃色が映り込む。

 

「起きて、ソロ。こんなところで眠っていると、風邪を引いちゃうわ」

 

 頭上から柔らかな声が降ってきた。何度か瞬きをして焦点を合わせる。青い空。ふわふわの雲がゆっくりと流れている。もう一度、ゆっくりと瞬きをすると、ようやくそれに焦点が合った。桃色の髪の少女があどけない微笑みを浮かべている。

 

「シンシア!?」

 

 思わず飛び起きると、手が柔らかい草に触れた。手元に視線をやれば、毒の沼が花畑に変わっている。これは一体、どういうことなのか。またシンシアに目をやれば、彼女は記憶と寸分変わらない姿でそこにあった。俺は彼女に何かを言おうとして――言葉に詰まる。一体、何を言えばいい? 謝罪? 御礼? 懺悔? 頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されたように、考えが纏まらない。それでも彼女は、辛抱強く俺の言葉を待っていた。

 

「……全部、終わらせてきた」

 

 考えに考えて、出てきた言葉はそれだけだった。それでも彼女は微笑みを浮かべたまま小さく頷く。そして何も言わずに、俺の身体を抱き寄せた。暖かい。こんなふうに誰かと触れ合ったのはいつぶりだろう。遠い記憶を思い返しつつ、俺はシンシアの背中に腕を回した。遥か昔に失ったはずのものが、この腕の中にある。この感覚をどう表現すれば良いのか分からなかった。喜びか、困惑か、それとも――

 

「ソロ!」

 

 突然名前を呼ばれ、顔を声のした方へ向ける。すると、そこには先ほど別れたばかりの仲間達が立っていた。慌ててシンシアから手を離したが、彼女は離すどころか更に強く抱きしめる。耳元で彼女がふふ、と笑った。きっと悪戯な笑みを浮かべているのだろう。

 

「あーら、随分お熱いじゃない?」
「ねっ、姉さん!」

 

 マーニャがニヤニヤしながらからかうようにいうと、ミネアが顔を真っ赤にして怒った。ブライは「全く、この娘は……」とでもいうように呆れた目をマーニャに向け、クリフトは苦笑している。ライアンは少し目を逸らし、わざとらしく咳払いした。

 

「ソロ殿、その方は?」
「そーよ、誰なの? そんな可愛い彼女がいたなんて初耳よ! 紹介しなさいよ!」
「姉さんはちょっと黙ってて!」

 

 ライアンの言葉に被せるようにしてマーニャが叫ぶと、ミネアは慌てて彼女の口をふさいだ。とうとうマーニャに説教を始めたブライを、クリフトが諌める。その様子を後ろから、トルネコが朗らかな笑顔を浮かべて見守っている。わいわいきゃーきゃー騒ぐ皆を余所に、アリーナが一歩前に出て笑みを浮かべた。

 

「良かった。故郷に帰っても、ソロはもう一人ぼっちじゃないのね」

 

 その場が急に、しんと静まる。
 俺はそれに微笑みで答えると、腕の中にいる彼女の名を呼んだ。

 

「シンシア」
「なぁに、ソロ」

 

「全部、嘘なんだろ」

 

 ぴしり、と世界に亀裂が走る。青い空、色鮮やかな花畑、笑顔で俺たちを見守る仲間。それらが全て色を失い、音を立てて崩れ落ちていく。全ては幻。全ては夢。全ては嘘。毒の沼に花は咲かないし、死んだ人は蘇らない。

 

「どうして、分かったの?」

「シンシアはなんでもロマンチックにしすぎる癖がある」

 

 悪い魔法使いに呪いをかけられたお姫様、とかな。そう言うと、シンシアは「それはもう忘れてよ!」と背中を強く叩いた。笑いながら、俺は首を横に振る。忘れるわけがない。あの呪文を使って、シンシアは俺の身代わりになったのだから。

 

「……でも、分かった。次からは気を付けるわ」
「次はない。これで最後だ」

 

 シンシアの両肩に手を置き、ゆっくりと押す。彼女の腕がするりと離れ、目の前に顔が晒された。瞳が涙で潤んでいる。視線が絡み合うと、耐え切れなくなったのかぽろりと雫が頬に流れ落ちた。そうなったらもう、止められない。瞳から涙がぽろぽろと零れ落ち、頬を濡らしていく。それを指で拭ってやると、シンシアは目を伏せた。

 

「教えてくれ。この夢から覚めるにはどうすればいい?」

 

 そう尋ねると、シンシアは手の甲で乱暴に涙を拭った。そして顔を上げて、真っ直ぐに俺を見つめる。その目には何かを決心したような強い光が宿っていた。彼女は震える唇を動かし、俺にその答えを囁きかける。

 

「悪い魔法使いにかけられた呪いを解く方法と同じよ」

 

 簡単でしょ、と笑う彼女。
 シンシアらしい、と答えた俺は、果たしてちゃんと笑えていただろうか?

 

 ――彼女は微笑んだまま、そっと目を閉じた。それに応えるように、俺は白く陶器のように滑らかな頬に手を添える。長い睫毛。ほのかに色づく頬。そして、髪と同じ桃色の、ふっくらとした唇。

 

 呪いを、解かなければ。お姫様はカエルのままで満足しているかもしれない。だが、いずれ元に戻らなければならない日が来る。カエルはお姫様に。夢は現実に。呪いが解けても、シンシアが好きなハッピーエンドにはならないかもしれない。けれど。それでも。俺は――

 

「シンシア、」

 

 

 俺は静かに、唇を重ねた。

 

 

 

◆◆◆

 

 


 気だるい体を起こし、毒に蝕まれている箇所を回復呪文で治す。花畑は毒の沼になり、集まっていた仲間も、隣にいたシンシアも、もういない。

 

――シンシアは、普通の人間だ。

 

 モシャスは使えるものの、魔力が特別多いわけではない。ましてや、ロザリーのように他人の夢に介入することなど不可能。なら何故、あんな幻を見たのか。未だに手には彼女の頬の感触が残っているし、目には鮮やかな桃色の髪が焼き付いている。ただの幻と片づけるにはあまりにも生々しい。可能性として考えられるのは、マヌーサよりも高度な幻惑呪文だ。だが、一流の呪文の使い手であるクリフトたちよりも、強力な幻惑呪文を使える者がいるだろうか? もしいるとすれば、それは――

 

「……やめた」

 

 結論に辿り着く前に、思考を打ち切る。天に向かって唾を吐くほど、俺は愚かじゃない。

 

 溜息をつきながら、右手に握る物へ視線を落とした。天空の剣だ。さっき捨てたはずなのだが、起きた時にはしっかり握っていた。……確か、この剣には、全ての呪文をかき消す“凍てつく波動”のルーンが刻まれていたはずだ。幻惑や混乱には効果はなかったと記憶しているが、もしかしたら、剣の意志がそれを打ち破ったのかもしれない。だとすれば、俺は随分とこの剣に気に入られていることになる。

 

「ありがとな」

 

 礼を述べて、丁寧に毒を拭き取ると、剣を再び腰に帯びた。どうやらまだ、俺はこの剣を手放せないらしい。数刻前の覚悟はなんだったんだ、と苦笑しつつ、立ち上がる。

 

「さて、と」

 

 毒の沼で遊んでいる場合じゃない。俺にはやるべきことがたくさんある。まず、毒沼を聖水で浄化して、みんなの墓を作ろう。その後、村の片隅に小屋を一つ立てる。家を建てたらそこを拠点にして、家屋の瓦礫を片付けつつ、荒れ果てた畑を再生させなければならない。村の皆に剣や魔法は教えてもらったが、畑や酪農に関しては何も教えてくれなかった。全部、一からの作業になる。果たして、全て終わるまでに何年かかるだろうか。

 

「まずは聖水を買ってくるか」

 

 ルーラの詠唱を始め、手を高く掲げる。

 


 ふと見上げた空は、腹立たしいほど青かった。